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この現代では、植物や動物を遺伝子操作し、人間の都合のいいように進化させる研究が盛んです。食品表示の「遺伝子組換」などもそうですね。 もしこの技術が人間に適用されたら、どんな世界になるのか? この『YASHA-夜叉-』という漫画は、人為的に高められた頭脳を持ついわば<新人類>が、「自分は普通ではなく、異質である」という意識に苦悩する姿を描いています。 人間は、“あるがまま”をよしとせず、「さらに上へ、もっと高みへ」という上昇志向を持つ生き物。この向上心のおかげで、人間社会はここまで発展してこれました。 ところが『YASHA-夜叉-』は読み進めていくと、「行き過ぎた向上心は果たして人間にとってよいことなのかどうか」と疑問に思うようになってしまう…そんな物語。 ここでは吉田秋生先生が描く、ロングセラー作品を真剣に考察していきます。
目次
遺伝子改良により、異常な高知能を持って生み出された双子。
この世でもっとも優れた生命体の兄弟は、その孤高さゆえに互いに心を寄り添わせつつも、やがて強い殺意を抱き合うようになる。
さらにふたりの激しい憎悪は、自分たちを生み出した組織のみならず、人類そのものにも向けられていく…。
同じ能力をもった双子でも、受ける愛情の深さや育ちにより人間は<善と悪>に分かれてしまうのか?
それを<菩薩と夜叉>になぞらえて表現した、残酷で美しい社会派×ヒューマンストーリー。
この作品に登場するのは、逸脱した高IQ人類を生み出す研究を秘密裏に行うアメリカの「ネオ・ジェネシス(=「新・創世記」の意味)」という会社。
知能的に現人類のはるか上をゆく、”新人類”がスタンダードになった世界を創り出すことが目的の組織です。
双子の主人公兄弟は、ここで人為的に試験管ベイビーとして生み出され、生涯にわたり実験動物のように生体を管理・支配される予定でした。
兄のほうは代理母によって連れ去られ、愛情深く育てられます。
いっぽう残された弟は組織の支配下で、歪んだ特権意識のもと冷酷に育てられます。
一見悪の組織のようにみえますが、”脳の研究により人類の秘められた可能性を探る”という気高いポリシーを持っています。
この企業にはこの組織なりの正義と理念があり、”革新的な新世界”を目指しています。
しかし言い換えれば、”有能かつ有益な者だけを世に残し、それ以外の者はすべて排除する”という選民的な危険思想の持ち主でもあるということ。
これを善行とみるか?行とみるか?は人それぞれですが、この組織に対しては否定的に見る読者が多いと聞きます。
これは、ネオ・ジェネシスのもとで育てられた弟が天才的頭脳を持ちながら、穏やかで幸福な生活とは縁遠い幼少期を送り、兄の手で壮絶な死を遂げる不遇な人生であったことが影響しているのではないでしょうか。
「ふつうの人間にはなれない」という被差別者としての意識と、「ふつうの人間より優れている」という差別者としての特権意識のあいだで揺れ、生きづらさを抱える双子たち。
彼らは、”見た目は人間なのに、能力は神がかり”という、異質すぎてどの集団にも属することのできない状況でした。
結果、「この世に二人だけ」という特殊な生命体同士として孤独を深め、一時的に互いに依存したりもします。
人間は、平均から外れるものを「悪」とみなし、排除しようとします。
それは仲間意識の強い動物には必ず、生まれながらに備わっている本能のようなもの。集団いじめの心理もこれと同じです。
しかし人間は、動物より一歩進んだ理性的な脳を持つ生き物。異質なものを「悪」と断じることなく、つとめて理解しようとする能力があるはず。
しかしこの兄弟は人間の知能をはるかにしのぐことから、能力を疎まれ、気味悪がられ、人類の存亡をかける大事業のさなかにも、足を引っ張られることも少なくない境遇にありました。
この双子の兄弟は人為的にとはいえ、恵まれすぎた才能をもって生まれています。
彼らを見ていると、”多くを持つ者が幸福な人生を送るとは限らない”。この真実を本作品は物語っている気がします。
双子の兄は、代理母の愛情と沖縄の自然に包まれて、ふつうの幸せな子供として幼少期を送ることができました。
かたや、弟は組織育ち。
彼が持つ特別な脳だけが評価され、“自我のはく奪”という形の虐待を受けて成長したため、温かい人格が育ちにくい環境にあったのです。
人を殺しても平然としている弟はもはや、知能がずば抜けて高いだけの冷酷な鬼(=夜叉)そのもの。
同じ双子のはずなのに、自分とは違ってぬくぬくと沖縄で育った兄のことを激しく憎悪。
兄の存在を偽善と決めつけ、兄の心の中にも邪悪な夜叉が棲んでいることを指摘します。
事実、兄自身にもその自覚はありました。
自分を異常者として扱う人間の邪心に嫌気がさし、もともと善の側であったはずの自分が、ときどきドス黒い悪の感情に呑まれていることにちゃんと気づいていました。
しかし、兄と弟にはれっきとした違いがあります。
それは、自分の内なるの夜叉の心を戒める強さ。
悪の心というものは、善の心を軽く凌駕するほどのすさまじい力を持っています。
それを理性で抑えることができたのは兄のほうで、弟は自身の身が破滅するまでそれが叶わず苦しみました。
誰もが心の中に、一時的に悪を棲みつかせてしまいます。それに気づき、追い払うことができるかどうか。
また、悪に染まることなく善の心を保つことができるかどうか・・・
それはそれぞれ、心の成長度合いにかかっていると感じられます。
この作品では、主人公兄弟の人格が<菩薩(善)>と<夜叉(悪)>の両面を行き来する様子が頻繁に描かれます。
やさしい兄にも<夜叉>の顔が垣間見え、つめたい弟にも<菩薩>の顔が垣間見える…。
そんなひとコマをみるたび、人間の思いがけない一面を見せつけられる気がして読者はドキッとすることでしょう。
生まれや育ち、資質に関わらず、人はかならず善人と悪人の両面の心を持っています。
しかし人間の多くが「自分は善なる正義の存在であり、物事の道理を誰よりもわきまえている」と思いこんでいます。
「ネオ・ジェネシス」の人間も「世のためになることをしている」という正義感、使命感にあふれていました。
だからこそ、歯向かってくるものを「愚かな悪」と決めつけていたのでしょう。
しかし、実際には100%の正義などこの世に存在しません。
人間が不確実で不安定な存在であるかぎり、この世に完全な菩薩サイドの存在はあり得ないとを考えられるからです。
人間は誰もが意外と似たり寄ったりで偏った思考を持ち、善悪の両面を持ち合わせています。
作品でいう<夜叉>と<菩薩>の二面の心が、その象徴と言えるのではないでしょうか。
双子の兄は正義寄りの人間として描かれていますが、途中何度も悪の道へと踏み外しそうになります。
その姿はとても人間らしくて不完全で、われわれ読者に親近感を抱かせることとなりました。
この作品では、最初の頃こそ<兄=菩薩>、<弟=夜叉>という描き分けがなされていますが、途中には何度も立場を逆転。
最後の最後には二人の思いがやっと重なり合うことで、菩薩と夜叉の統合という人格の成熟をむかえているように見えます。
吉田秋生先生が手掛けた根強い人気の『BANANA FISH』と、同じ作品世界で描かれた『YASHA-夜叉』。
”知能が高ければ高いほど、より多くのものを得ることができ、人として幸せに生きることができるのか”・・・そんな疑問を読者に投げかける作品です。
この両作には、抜きん出た才を持つ人間の孤独という共通するものが感じられますが、後発の本作は精神的な部分に触れるにとどまらず、脳機能の解明や遺伝子技術の進む世の中に一石を投じられていました。
こうした社会派の面も描きつつ、逸脱した高IQ人類として生まれた不幸な兄弟の壮絶な葛藤も題材にしたヒューマンストーリーは、読みごたえ十分。
吉田先生が描く爽やかでスッキリした絵柄に反して、人間の狂気と愛憎が色濃く描かれた美しくも醜い物語にぜひ、浸ってください。