少女たちが『彼氏彼女の事情』に惹かれた理由

少女たちが『彼氏彼女の事情』に惹かれた理由

大人になって読み返してわかった

少女たちが『彼氏彼女の事情』に惹かれた理由

「彼氏彼女の事情」というタイトルを聞いて、どんな作品を思い浮かべるでしょうか。 この作品を知らない人は、彼氏彼女なんて付いているくらいだから、恋愛ものなんでしょうと思うかもしれません。では、知っている人はどんな作品だったか思い出せますか? 「彼氏彼女の事情」は1996年から2005年にかけて"花とゆめ"で連載された少女漫画で、1998年にエヴァンゲリオンで知られる庵野秀明監督によってアニメ化されました。その頃筆者は小学生で、セーラームーンからやっと卒業したぐらいの時期。そんな身も心も幼い時期に出会ってしまった「彼氏彼女の事情」という作品に対し、「なんて怖い話なんだろう」と思ったことを鮮明に覚えています。 しかし、その一方で、「怖いのに見たい」という相反する感情も抱いていました。当時小学生から中学生くらいでこの作品を見た人は同じような感情をいただいていたのではないでしょうか。 どうして「彼氏彼女の事情」を怖いと思い、それでも観たいと思ったのか?大人の立場で読み返し、当時の少女たちがこの作品のどこに惹かれたのかを考えてみました。 そして、今まで見たどの作品の中にもない「インモラルな世界」に好奇心を抑えられなかったのではないかという結論に行きつきました。 ここでは、少女たちを惹きつけた「彼氏彼女の事情」のインモラルさについて考察していきます。

 

「彼氏彼女の事情」のインモラルな設定

本やアニメの中に愛や夢、希望といったキラキラしたものばかり見ていた少女たちにとって、底が見えない未知の存在や触れてはいけないものを描いたことで発表当時、話題になった「彼氏彼女の事情」。
作品の根底に流れる暗さに時折、言いようのない怖さのようなものが感じられる点がそれまでの少女漫画と、一線を画していました。
同作が、従来の少女向け作品で避けられがちだった何を描いていたのか見ていきましょう。

恋人への依存


[出典:彼氏彼女の事情7巻]

この作品にはヒロインと主人公のカップル以外にも多くのカップルが登場しますが、共通するのは男女のどちらかが、あるいは両方が恋人に対し依存的だと言うことです。物語のメインとなる宮沢雪野と有馬総一郎では、男性側の有馬がヒロインの雪野に依存しています。彼女なしでは生きていない。彼女を傷つけるくらいなら、自分を傷つける。そんな痛々しい描写が中盤にかけて増えていきます。

子供に不幸を与える親


[出典:彼女の事情13巻]

主人公の有馬は医者の家に生まれながらも父親があまりに家に反抗的であったため、異端扱いされていました。そして、幼少期に母親から酷い虐待を受けた結果、自分を救ってくれて惜しみない愛情を与えてくれた養父母に対しても心を開くことができず苦しみます。「自分はあの母親の子供だから」「どうして愛してくれる人に愛を返せないのだろう」。養父母のために人一倍努力して、全国模試で1位を取り、剣道のインターハイで優勝しても、自分を愛せない…。

高校生になって美しく成長した有馬の前に実の母親が現れ、また一緒に住むことを提案しますが、有馬は拒み続けます。そんな有馬に対し母親は有馬の大切な人を傷つけると脅し、無理やり自分の手元に置こうとしたのです。あまりに幼稚な行動を取る母親に愕然としてしまいます。こうした親から与えられる苦しみを作品の根底に据えたというのは、少女漫画としては異例であったといえます。

高校生の妊娠・出産

[出典:彼氏彼女の事情21巻]

自暴自棄になった有馬との行為によって雪野は高校生で妊娠をします。普通なら絶望的に描かれる設定ですが、この作品では高校生の妊娠を前向きに描きます。親のせいで人を愛することができない有馬に、愛することを教えてあげたい。そんな雪野のまっすぐすぎる思いを否定する登場人物は、この作品にはいません。雪野自身も一度たりとも絶望せず、「受験はいつでもできる。子供が成長したら受験をして、卒業したらバリバリ働こう!」と高校生で子供を産むことを肯定的に捉えます。

一度受験に失敗したくらいで道が反れたように感じさせる社会に対し、「それがどうした?」と一殴りで風穴を開けるような展開に、大人になってから読み返して、「よくこの設定が少女漫画で通ったな…」と思わずにはいられませんでした。

完璧でなければないという重圧の副作用

[出典:彼氏彼女の事情13巻]

ヒロインの雪野は完璧主義で優等生の自分を演じることに快感を覚えているという設定です。そして、有馬もまた同じで誰が見ても完璧な人間でしたが、心の中には埋められない孤独と幼少期から消せない心の傷を抱えていました。雪野はとても強い女性なので、本性がばれても開き直って過ごしますが、有馬は完璧な自分でないと誰にも愛されないという呪縛から雪野以外には素の自分を出せません。

ですが、ある日、有馬は雪野にすら本当の自分を出していないことに気が付き、絶望し、一人で闇に堕ちてしまいます。完璧な人間が、完璧の道から反れた時の恐ろしさが、思わずゾッとするくらいリアルに描かれています。

まとめ

このように「彼氏彼女の事情」では一般的にインモラルだとされる設定を最後まで描き切ります。当時小学生だった少女たちがこの全てを理解しきることは難しかったでしょう。しかし、大人になって読み返し、この作品には真実が詰まっていると感じました。

上辺だけの“好き”は「彼氏彼女の事情」の中には存在しません。相手も自分も周りも傷つけて、希望の光みたいに相手を求める深い愛が描かれています。昔読んでよくわからなかったという人も、大人になった今、もう一度読んでみてください。当時とまた違った見え方ができるようになったことに快感を覚えることができます。